政治家として活躍する谷川弥一衆議院議員。
彼は自民党の重鎮であり、文部科学副大臣や衆議院文部科学委員長などの要職を歴任してきました。
しかし、彼の学歴や経歴についてはあまり知られていません。
実は、彼は高校卒業後に家業の製材所を手伝いながら、自らハウスメーカー「谷川建設」を創業したのです。
その後、長崎県議会議員を5期17年務め、2003年に衆議院議員に初当選しました。
この記事では、谷川弥一議員の驚くべき学歴と経歴について詳しく紹介します!
谷川弥一のプロフィール
まずは、谷川弥一衆院議員のプロフィールについてご紹介してまいります!
谷川弥一衆院議員のプロフィール
- 生年月日: 1941年8月12日
- 年齢: 82歳(2023年12月12日時点)
- 出身地: 長崎県南松浦郡岐宿町(現・五島市)
- 出身校: 長崎県立長崎東高等学校
- 前職: 谷川建設会長
- 所属政党: 自由民主党
- 衆議院議員選挙区: 長崎3区
- 当選回数: 7回
- 在任期間: 2003年 – 現職
谷川弥一衆院議員は、趣味が囲碁や読書、ウォーキングで、座右の銘は「打成一片」だということです³。
また、谷川建設を創業した際には、般若心経を唱えて気持ちを奮い立たせていたというエピソードがあります。
さらに、2016年には、衆議院内閣委員会で質問時間が余った際に、般若心経を唱えるという騒動を起こしました。
谷川弥一衆院議員は、故郷に働く場を作りたいという目標を掲げており、地元長崎のために一生懸命働いています。
谷川弥一の学歴は高卒?!
続いて、谷川弥一氏の学歴についても見ていきましょう!
谷川弥一衆院議員は、1941年8月12日に長崎県五島市岐宿町で生まれました。
なんと、谷川弥一氏の学歴は高卒なんだとか!
谷川弥一氏は、長崎県立長崎東高等学校へ進学後は、家業の製材所の手伝い、大学へは進学していません。
谷川弥一の元社長の経歴が凄い!
谷川弥一氏の元社長の経歴が凄いんだとか!
谷川弥一氏は、長崎県立長崎東高等学校を卒業後、家業の製材所の手伝いをしながら、1971年に自身で株式会社谷川建設を設立しました。
その後、1987年に同社の会長に就任しています。
谷川弥一衆院議員は、1987年に長崎県議会議員選挙に出馬し、初当選しました。
以後、県議を5期17年にわたって務め、2003年に長崎県議会議長に就任しました。
同年、第43回衆議院議員総選挙に出馬せず引退した虎島和夫元防衛庁長官から後継指名を受け、長崎3区から自由民主党公認で出馬しました。
民主党の山田正彦を破り、初当選しました(山田も比例復活)。
その後、2005年、2007年、2012年、2014年、2017年、2021年の衆議院議員総選挙でも長崎3区で当選し、現在7期目を務めています。
政治活動の中で、2007年に自民党長崎県連会長に就任しました。
また、2007年の安倍改造内閣で農林水産大臣政務官に就任しました。
2010年には、小池百合子が総務会長に就任した際に総務会副会長に就任しました。
2012年の第2次安倍内閣で文部科学副大臣に就任しました。
2016年には、衆議院文部科学委員長に就任しました。
まとめ
今回は、谷川弥一氏の学歴や経歴についてまとめてみました。
谷川弥一氏の学歴は高卒ですが、自ら会社を立ち上げた手腕もお持ちの経歴が凄いですね!
谷川弥一衆院議員は、自由民主党所属の政治家で、長崎3区から7期連続で当選しています。
長崎県議会議員や長崎県議会議長、文部科学副大臣や衆議院文部科学委員長などを歴任しました。
憲法改正や自衛隊の明記、安全保障関連法の成立などに賛成し、選択的夫婦別姓制度や同性婚の法改正などに反対しています。
趣味は囲碁や読書、ウォーキングで、座右の銘は「打成一片」です。
谷川建設の創業者でもあり、般若心経を唱えることで気持ちを奮い立たせてきました。
故郷に働く場を作りたいという目標を掲げて、地元長崎のために一生懸命働いています。
最後までご覧下さりありがとうございます。