河野太郎さんといえば、ワクチン担当大臣や元外務大臣として知られていますが、実は政治家や実業家の一族の出身です。
河野太郎さんの家系図は、自民党総裁や副総理を務めた祖父や父、伊藤忠商事の創始者を曽祖父に持つ豪華なものです。
今回は、河野太郎さんの家系図とその魅力について詳しく見ていきましょう!
河野太郎さんの家系図が豪華すぎ?!
河野太郎さんの家系図が豪華すぎなんだとか!
河野太郎さんの家系図は次の通りです。
拾い物の河野太郎家系図 pic.twitter.com/mdnJhspJqi
— tachikoma-musashi (@tachikoma_musas) February 28, 2023
この家系図から分かるように、河野太郎さんは父方で4代続けて政治家という血筋です。
河野太郎さんの父方の祖父や父も副総理を務めたそう!
また、河野太郎さんの母親は社長令嬢で、実家の先祖も凄いです。
母方の先祖は伊藤忠商事や東洋紡績などの実業界にも関係しています。
河野太郎さんは政治家と実業家のエリート一家だった!
河野太郎さんといえば、2023年現在はデジタル大臣や内閣府特命担当大臣などを務める自民党の重鎮ですが、その出自は政治家と実業家のエリート一家だったのです!
父は元自民党総裁で衆議院議長や外務大臣などを歴任した河野洋平さん、母は伊藤忠商事の創業者伊藤忠兵衛の曾孫という名門の血筋です。
また、祖父は副総理や参議院議長などを務めた政治家であり、弟は日本端子の社長です。
さっそく1人ずつ詳しく解説してまいりますね!
河野太郎さんの祖父・河野一郎
河野太郎さんの祖父・河野一郎さんは、1898年(明治31年)に生まれました。
河野一郎さんは、日本の政治家であり、昭和中期の政界実力者の一人でした。
河野一郎さんは朝日新聞社に入社し、政治記者として活躍していたそうです。
その後、河野一郎さんは政界入りし
- 農林大臣
- 建設大臣
- 経済企画庁長官
- 行政管理庁長官
- 副総理
- 国務大臣(東京五輪担当)
を務めたことがあります。
副総理や日本自由党幹事長、自由民主党総務会長などを歴任しましたが、総理大臣にはなれませんでした。
1965年(昭和40年)に大動脈瘤破裂で急逝していす。
河野一郎さんは、地元の神奈川県政にも強い影響力を持ち、「河野王国」と呼ばれていたそう。
また、早稲田大学在学中には競走部に所属し、箱根駅伝で2度優勝した経験もあります。
NHKドラマ「お母さんの遺伝子」では桐谷健太さんが河野一郎さん役を演じました。
実は、河野一郎さんの若い頃はかなりイケメンなんだそう。
実際の河野一郎さんの若い頃の画像がこちらです!
男前ですよね!
箱根駅伝にも出ていたので、かなりモテていたのではないでしょうか?
河野太郎さんの父・河野洋平
河野太郎さんの父・河野洋平さんは、1937年(昭和12年)に生まれました。
祖父・一郎さんと同じく早稲田大学卒業後に政界入りし、「自民党のプリンス」と呼ばれていたようです。
河野洋平さんは
- 衆議院議員(14期)
- 衆議院議長(第71・72代)
- 副総理(村山内閣・村山改造内閣)
- 外務大臣(第123・128-131代)
- 内閣官房長官(第55代)
- 科学技術庁長官(第39代)
- 原子力委員会委員長(第39代)
- 自由民主党総裁(第16代)
- 新自由クラブ総裁(第3代)
などを歴任されました。
河野洋平さんは外務大臣や副総理、自由民主党総裁などを務めましたが、最も有名なのは、2003年から2009年までの6年間にわたって衆議院議長を務めたことです。
これは日本憲政史上最長の記録です!
河野洋平さんは、1976年頃から重度の肝機能障害を患い、C型肝炎や肝硬変になりました。
2002年には河野太郎さんをドナーとして生体肝移植手術を受けています。
現在は症状も回復し、元気に暮らしているようです。
河野太郎さんはとても親孝行なんですね!
河野太郎さんの曽祖父・伊藤忠兵衛
河野太郎さんの母方の曽祖父・伊藤忠兵衛さんは、1873年(明治6年)に生まれました。
父・初代伊藤忠兵衛さんが創業した呉服店・伊藤本店を引き継ぎ、伊藤忠商事や丸紅の創業者となりました。
戦前は多数の紡織会社を傘下に持つ繊維財閥でしたが、戦後の財閥解体措置により現在の伊藤忠商事株式会社が設立されました。
伊藤忠兵衛さんは、教育にも関心を持ち、財団法人甲南学園の理事としても活躍しました。
甲南学園は、甲南大学や甲南女子大学などを運営する教育機関です。
河野太郎さんの母方の曽祖父・伊藤忠兵衛さんは、素晴らしい方だったのですね!
河野太郎の母方の曽祖父・本郷房太郎
河野太郎の母方の曽祖父・本郷房太郎さんは日本の陸軍軍人で、軍事参議官や青島守備軍司令官などを務めました。
階級は陸軍大将で、勲一等瑞宝章や勲一等旭日大綬章などを受章しました。
本郷房太郎さんは、丹波篠山藩士・剣術指南・本郷貫之助の長男として生まれ、1877年に陸軍士官学校に入りました。
同期には上原勇作元帥や秋山好古大将などがいます。
本郷房太郎さんは、日露戦争や第一次世界大戦に出征し、1918年に陸軍大将に進級。
1921年に予備役に編入された後は、久邇宮宮務監督や大日本武徳会長などを務めました。
本郷房太郎さんは、1931年に死去しましたが、その後、故郷の篠山町に「本郷大将記念図書館」が建設されています。
本郷房太郎さんの三女・周子さんは、伊藤忠商事の創業者一族・伊藤恭一さんと結婚しました。
その娘・武子さんが河野太郎の母親です。
河野太郎さんの家系には、陸軍大将もいたのですね!
河野太郎さんの弟・河野二郎
河野太郎さんには弟が1人います。
河野二郎さんといい、日本端子株式会社の社長を務めています。
日本端子は、1960年に資本金1億円で創業された、端子やコネクタなどを製造している会社です。
従業員が440名で、北京や香港にも関連会社を持つ大きな会社です。
河野二郎さんは政治家ではなく、実業家として活躍しています。
河野一族は政治家だけでなく、商売人としてもそうそうたる人物が名を連ねていますね!
河野太郎のプロフィール
河野太郎さんのプロフィール
- 1963年1月10日生まれ
- 神奈川県平塚市出身
- 父は元自民党総裁で衆議院議長や外務大臣などを歴任した河野洋平さん
- 母は伊藤忠商事の創業者伊藤忠兵衛の曾孫
- 慶應義塾高校卒業後、ジョージタウン大学に留学し比較政治学を専攻
- 富士ゼロックスや日本端子などで勤務した後、1996年に神奈川15区から衆議院議員に初当選
- 2023年現在は自民党所属の衆議院議員(9期)、デジタル大臣、内閣府特命担当大臣(デジタル改革、消費者及び食品安全)、国家公務員制度担当大臣
- 過去にはワクチン接種推進担当大臣、防衛大臣、外務大臣、国家公安委員会委員長などを歴任
- 2021年の自民党総裁選挙では岸田文雄氏に次ぐ2位となった
河野太郎さんの家系図が豪華な上に、河野太郎さんご自身も総裁に選ばれていてもおかしくない人物です!
まさに、河野太郎さんは政財界のエリートと言えるでしょう。
まとめ
今回は、河野太郎さんの家系図についてまとめてみました。
河野太郎さんは政財界のエリートと言えるでしょうが、それだけでなく自身の実力や人柄も評価されています。
今後の河野太郎さんの活躍にも期待したいですね!
最後までご覧くださり、ありがとうございます。