ラサール石井の学歴や経歴が気になる!芸人から政治家に転身した理由を調査!

インテリなお笑い芸人として長年活躍されているラサール石井さん。

芸人だけでなく、俳優業や脚本業と多彩な才能をお持ちですよね。

今回はラサール石井さんの学歴や芸歴、芸人から政治家に転身した理由を調査して見ました。

目次

ラサール石井の学歴!最終学歴は高卒!?

ラサール石井さんの学歴について見ていきましょう。

ラサール石井さんの出身高校は鹿児島県の私立ラ・サール高校です。

鹿児島県のラ・サール高校と言えば、偏差値77の超難関校で進学先も東大や京大を始め、早慶といった有名大学への進学率の高い学校。

特に医学部への進学率は全国トップレベルな学校です。

中高一貫校のラ・サール高校ですが、ラサール石井さんは中学からの内部進学ではなく、高校からの外部進学。

本当に優秀ですね。

本人もラ・サール高校出身な事を誇りに思い、自身の芸名にもラサールと取り入れています。

そんなラサール石井さんは、東京大学を受験。

残念な結果となってしまいましたが、浪人したところで甘い誘惑に勝てないと思い、早稲田大学第一文学部に進学。

大学在学中に放送作家としてデビューしたり、テアトル・エコー養成所の一期生として入団したり、本格的に芸能活動に取り組んでいきます。

大学3年生の時に、渡辺正行さんと小宮孝泰さんと運命的な出会いを果たしています。

多忙なせいで大学の単位が取れず、早稲田大学は除籍となってしまいました。

つまり、最終学歴は高卒ということになりますが、ラサール石井さんの活躍ぶりを見ると、学歴は関係ないようにも思えますね。

そんなラサール石井さんですが、東大への思いは大人になってからも失われなかった様子。

なんと、2010年から東京大学を複数回受験。

残念ながら合格することはできませんでしたが、50歳を過ぎて東大を目指すその意気込みには感服せざるを得ません。

年齢に甘んじる事なく、常に新しい事に挑戦する、それがラサール石井さんの生き様なのかもしれません。

ラサール石井の経歴!芸人・俳優・コメンテーターとしての活躍!

ラサール石井さんの輝かしい経歴を紹介していきます。

芸人・俳優・コメンテーターとして、多方面で活躍してきました。

学生時代に放送作家デビュー!

早稲田大学に進学した、ラサール石井さんは同大学のミュージカル研究会に所属。

そこで放送作家をしていた先輩に認められ、放送作家としてデビュー。

テレビ朝日の歌謡バラエティ番組『チビラサンデー』でコント制作などに携わっていました。

テアトル・エコー養成所の一期生としても入所。

声優養成試験にも受けたそうですが、マイクに息がかかる癖があるため、不合格。

大学時代のラサール石井さんはいかに自分の才能を活かせる道を模索している様子が伺えますね。

コント赤信号で芸能界デビュー!

引用:X

大学3年生の時に養成所の一期下の渡辺正行さんと小宮孝泰さんとコント赤信号を結成。

コント赤信号のメンバーとして芸能界デビューをします。

コント赤信号は、「俺たちひょうきん族」でお茶の間を沸かし、一世風靡。

一躍人気者になっていきます。

バラエティ番組やクイズ番組にも多数出演。

インテリ芸人として頭角を表していきました。

こち亀で声優や脚本・演出も担当!

1996年に放送された、アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では主人公両津勘吉の声優を担当。

2009年にはTBS『こちら葛飾区亀有公園前派出所』で主演を務め、舞台『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では脚本・演出・主演をこなし、ラサール石井さんの代表作となりました。

本当にラサール石井さんの演じる、両津勘吉は大絶賛。

特に若い世代から支持が多かったようです。

審査員やコメンテーターとしても活躍!

2001年の初回から『M-1グランプリ』の審査員を6回、2009年以降は『R-1グランプリ』の審査員も務めました。

2005年からはTBSの『イブニング・ファイブ』に出演し、夕方の顔となりました。

コメンテーターとしては、辛口のコメントで度々炎上することもありました。

政治家になればますます、その発言が注目されます。

ちょっとした失言で政治生命が終わることもあるので、是非とも気をつけていただきたいです。

とはいえ、コント赤信号から始まり、今ではすっかり芸能界の重鎮まで上り詰めたラサール石井さん。

本当に芸能界で輝かしい成功を収めていると言えるでしょう。

ラサール石井が政治家に転身した理由が気になる!

芸能界で輝かしく活躍してきた、ラサール石井さん。

なぜ、70歳近くになり政治家を目指されたのでしょうか?

ラサール石井が政治家を目指す理由①黙って見ているのをやめた

ラサール石井さん、政治家を志す理由は、黙って見ているのをやめたからです。

「黙って見ているのをやめた。発言するのを一つの仕事としてこれからやっていこうと決めました」と、決断の理由を明らかにした。

引用:Yahoo!ニュース

ラサール石井さんはズバリ、傍観者をやめたのです。

ラサール石井さんは、SNSなどで生きづらさを発信していました。

ラサール石井さんのこれまでの経歴を見ても明白。

ラサール石井さんは常に行動と実行のある人ですね。

危機感を持ち、行動に移したラサール石井さん。

ラサール石井さんの行動力に心を打たれ、応援する声も多いことでしょう。

ラサール石井が政治家を目指す理由②社民党をより良い党に変えたい

ラサール石井さんは社民党は、存続の危機にあるがなくなってはいけないと断言。

「護憲や平和や労働問題を考える、そういったものがなくなったら、この国はタガが外れていく」

引用:東京新聞

社民党から出馬する理由をこのように述べていました。

知名度のあるラサール石井さん。

社民党よりも勢いのある政党から出馬するチャンスもあったのではないでしょうか?

けれど、ラサール石井さんは敢えて存続の危機にある社民党を選択。

社民党の掲げる政策はもちろん、「社民党を面白く、親しみやすいと思ってもらえる政党にしていきたい」と意気込みまで表明。

社民党ってラサール石井さんの指摘通り少し古臭いイメージがありますよね。

そこを新しく変えていく。

それは社民党だけでなく、ラサール石井さんの政治そのものを新しく改革したいという姿勢そのものかもしれません。

ラサール石井政治家を目指す理由③青島幸男への憧れ

ラサール石井さんはタレント議員の先駆けとなった青島幸男さんに憧れていたと明言されています。

多才さで知られた青島氏に憧れを持っていたという石井氏は、「ああ、この人は政治のところまで行くんだと。どこか目標にしているところはあった」と打ち明け、「心のどこかにそういう気持ちがあったかも知れません」とも話した。
                                      引用:Yahoo!ニュース

青島幸男さんも「いじわる婆さん」などで俳優業としてマルチに活躍。

青島幸男さんは参議院を5期務め、その後東京都知事になった方。

芸能界の先輩の青島幸男さんを尊敬し、ラサール石井さんが目標としてもおかしくはないですよね。

ラサール石井さんは自身もタレント議員と呼ばれる事に抵抗はあるもののそれは仕方ない、けれどタレント議員だから役に立たないと言わないでほしいと主張。

実際に青島幸男さんは都知事時代、公約に掲げた世界都市博覧会の開催中止を断行しました。

ラサール石井さんも他のタレント議員とあまり違いは感じていないが、これからの働きぶりを見てほしいと言っていました。

おそらく、タレント議員だからと言われないよう、政治家として精力的に政務に取り組むのだろうなと感じました。

そんなラサール石井さん。

芸能界でも人望は厚いようです。

コント赤信号の仲間の小宮孝泰さんやピンクの電話のヨッちゃん。

かつての仲間が応援に駆けつけてくれるなんて、これはやはりラサール石井さんの人望でしょう。

ラサール石井が政治家を目指す理由④妻の後押し

ラサール石井さんの今回政治家への転身へ背中を押ししたのは、妻。

ラサール石井さんの妻は、32歳年下で若くて美人なことで有名です。

その奥様に「違った姿も見てみたい」と言われ、ラサール石井さんはご決断されたそうです。

若い妻に背中を押されたら、ラサール石井さんもやるしかありませんね。

ラサール石井さんの年下妻について知りたい方はこちらの記事を合わせてお読みください。

まとめ

今回はラサール石井さんの学歴や経歴、芸能人から政治家への転身について調査してみました。

調査の結果分かったことは下記になります。

・ラサール石井はラ・サール高校出身でその事を誇りに思い、芸名の由来になっている
・ラサール石井は早稲田大学第一文学部を除籍
・ラサール石井は芸能界でインテリ芸人としてバラエティ、クイズ番組、俳優などマルチに活躍
・ラサール石井が政治家を目指す理由は、傍観者をやめたから
・ラサール石井は社民党、政治を新しく改革していきたい

才能豊かなラサール石井さん。

今後どのように活躍していくのか、楽しみですね。

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