世良公則の学歴や経歴を詳しく紹介!歌手から政治家に転身する理由に迫る!

ミュージシャンと俳優の両方で活躍しエンタメ界に大きな影響を与え、政治家としても活動の幅を広げている世良公則さん!

そのような世良公則さんの、学歴や経歴が気になる方も多いのではないでしょうか?

この記事では、

  • 世良公則の学歴
  • 世良公則の経歴
  • 世良公則が政治家になった理由

についてお伝えいたします。

目次

世良公則の学歴を詳しく紹介!どんな学生時代を過ごした?

まずは、世良公則さんの学歴を紹介いたします。

世良公則の出身小学校

世良公則さんの出身小学校は、福山市立旭小学校です。

世良公則さんは小学校時代、活発な性格でガキ大将的な存在だったようですが、厳格な家庭環境だった為、父親から青竹で殴られたり、母親から牛乳瓶を投げられるなどの厳しい指導があったようです。

世良公則の出身中学校

世良公則さんの出身中学校は、福山市立向丘中学校です。

中学生時代バレー部に所属していた世良公則さん。

世良公則さんにとって、運命的な音楽体験をします。

深夜放送でローリング・ストーンズの「Paint It Black」を偶然聞いたとき、「何だ、これは!」と感動したことが、音楽人生の転機となりました。

その感動体験から、海外ロックを聴きまくる生活が始まったようです。

世良公則さんは、中学時代から不良化が始まりました。成績が悪化し、学校での素行に問題が発生していたようです。

中学3年生のとき、進路相談の先生から「お前が入れる高校はない」と言われ、この言葉に発奮し、猛勉強してトップで高校に合格を果たします。

きっかけはどのようなものでも、逆境を乗り越える力は人の魅力になるのかもしれませんね。

世良公則の出身高校

世良公則さんの出身高校は、広島県立福山葦陽(いよう)高校です。

高校時代の世良公則さんは、リーゼントに真っ赤なTシャツ、長ラン、ボンタン、地下足袋スタイルだったようです。

バイクを乗り回し、よくケンカをする典型的な不良でした。

世良公則さんは高校1年のとき、父親から宣言を受けました。その内容は次の通りです。

  • 「今日からお前を大人として見るから自分で将来を決めなさい」
  • 「大学に行くのもミュージシャンになるのもお前の自由」
  • 「大学に行くなら学費は貸してやるから社会人になったら返しなさい」

この宣言を見ると、自分の進みたい道に進んで行きなさいと、人生の選択を背中を押してくれているように感じますね。

世良公則さんは、高校2年のときにバンド「FBI」を結成しています。きっかけは同級生からの誘いでした。

担当楽器はベースでしたが、その理由が3歳から習っていたヴァイオリンと同じ、4弦なら弾けるのではないかという安易な考えだったようです。

世良公則の出身大学

世良公則さんの出身大学は、大阪芸術大学 芸術学部放送学科です。

大学時代は藤井寺の喫茶店、コンサートスタッフのバイトをしながら、バンド活動に熱中していました。

大学2年のときに、ベースからボーカルに転向しました。きっかけは、音楽関係者から前任ボーカルが下手と指摘されたからです。

「FBI」はローリング・ストーンズやフェイセズなどの洋楽のカバーをおこなっていましたが、大学4年のときにバンド名を「ツイスト」に改名して、オリジナルの楽曲もはじめています。

大学卒業時にバンドの解散のけじめとして、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に出場することになりました。

バンド活動は大学時代だけの活動予定だったからです。

ところが出場したヤマハのポプコンと世界歌謡祭で「あんたのバラード」が予想外のグランプリを受賞しました。

しかし、大学卒業後は世良公則さんと神本宗幸さん以外のメンバーが、プロになるのを拒否したため、大学の別バンドに所属しているプロ志向のメンバーと「世良公則&ツイスト」を結成することになります。

世良公則の経歴に注目!音楽活動と俳優としての活躍を調査!

世良公則さんは、音楽活動や俳優としてどのような経歴を持っているのでしょうか?

音楽活動の経歴

世良公則さんの音楽活動の経歴を見て行きたいと思います。

世良公則さんのレコードデビューは、1977年11月25日に「あんたのバラード」を世良公則&ツイストで発表しています。

1978年4月に上京し、本格的な音楽活動をスタートしました。

「世良公則&ツイスト」は1977年から1981年まで活動をしました。

日本語ロックの先駆者として、4年間で70億円を売り上げたモンスターバンドです。

代表的なヒット曲はこちらです。

  • 「あんたのバラード」(1977年)デビュー曲、グランプリ受賞作
  • 「宿無し」(1978年)
  • 「銃爪」(1978年)
  • 「燃えろいい女」(1979年)

世良公則さんは、1982年からソロボーカリストとして活動し、1996年までに14枚のシングルと10枚のアルバムをリリースしています。

俳優の経歴

世良公則さんは、音楽活動以外に俳優としても活躍しています。

世良公則さんのテレビドラマ代表作は、1982年から1984年に放送された「太陽にほえろ!」だと思います。

役名は「春日部一」(ボギー刑事)で、ドジでまっすぐなキャラクターはみんなに愛されていました。

その他のテレビドラマ出演作はこちらです。

  • チョッちゃん(NHK朝ドラ)
  • 下町ロケット
  • マルモのおきて(17年振りの連続ドラマ出演)

また、世良公則さんは映画作品にも多数出演し、賞を受賞しています。

映画出演作品はこちらです。

  • 「Wの悲劇」(1984年)  薬師丸ひろ子と共演
  • 「極道の妻たち」(1986年) かたせ梨乃と共演
  • 「極道の妻たち 惚れたら地獄」(1994年) 川島なお美と共演
  • 「カンゾー先生」(1998年) 今村昌平監督作品
  • 「小さな恋のうた」(2019年)
  • 「七つの会議」(2019年)

世良公則さんの俳優としての輝かしい受賞歴はこちらです。

  • 第22回日本アカデミー賞 (1999年)
  • 助演男優賞 受賞(カンゾー先生)

音楽活動に俳優として活躍する表現力のすごさを感じますね。

世良公則が歌手から政治家に転身する理由に迫る!

世良公則さんが政治家になった理由はなんでしょうか?

世良公則さんはこのようなことを言っています。

「政治の中にいる人に声が届きにくい。外から論評するだけでなく、内側から声を上げていきたい」

また、このような発言もしています。

「この30年、日本は経済をはじめ成長が全く見られない。今の政府の政策には何一つ共感できません」

このふたつの発言から、日本の政治に不満がありそれを変えていくために政治家になったのではないでしょうか。

世良公則さんの最初の政治活動は、2012年の動物の殺処分ゼロを求める動物愛護法改正運動に参加です。この活動を通じて政治の世界に関心を持つようになりました。

また、2020年にはコロナ禍での政治的発言をしています。

エンタメ業界の制作会社社長の自殺をきっかけに、政治への関与を決意したようです。そして、自民党音楽文化振興議員懇談会で、業界の現状報告と要望を伝えています。

2025年7月には、大阪選挙区から無所属で立候補を表明しています。

世良公則さんが、政治家として政治界にどのような影響を与えてるのかが楽しみですね。

世良公則の家族構成はこちらの記事をチェック↓↓

まとめ

この記事では

  • 世良公則の学歴(最終学歴は大阪芸術大学)
  • 世良公則の経歴
  • 世良公則の政治家に転身した理由

についてお伝えいたしました。

音楽活動、俳優として長い期間活躍されている世良公則さんですが、政治家としてタレント候補としてではなく、長年の社会活動の経験と明確な政治的信念に基づいた政治家、転身であることがわかりますね。

これからのさらなる活躍を期待したいですね。

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