競泳オリンピックメダリストから、政治家になった中村真衣さん。
どのような、学歴や経歴なのか詳しく知りたい!興味がある!という方も多いのではないでしょうか?
この記事では、
- 中村真衣の学歴
- 中村真衣の経歴
- 政治家に転身した理由
についてお伝えしたいと思います。
中村真衣の学歴が気になる!
中村真衣さんがオリンピックで活躍していた時は、どこの学校に通っていたのでしょうか?
まずは、中村真衣さんの学歴を見ていきたいと思います。
中村真衣の出身小学校
中村真衣さんは、新潟県長岡市の公立小学校、「長岡市立宮内小学校」に通っていました。
4歳からスイミングスクールに通っていた中村真衣さんは、小学生時代新潟県内トップのバタフライ選手だったようです。
中村真衣の出身中学校
中村真衣さんは、新潟県長岡市の公立中学校、「宮内中学校」に通っていました。
バタフライの選手だった中村真衣さんですが、バタフライの練習が厳しく、嫌気がさし練習を休みがちになっていたようです。
そのようなときに、どの種目なら頑張れるかコーチに問われると、とっさに答えたのが「背泳ぎ」のようです。
これが中村真衣さんが、「背泳ぎ」でオリンピックにでるための変化点だったのですね。
中村真衣の出身高校
中村真衣さんの出身高校は、「帝京長岡高等学校」です。
高校も中村真衣さんは、地元の学校を出ています。
中村真衣さんが高校2年生のとき、アトランタオリンピックに出場しています。
中村真衣の出身大学
中村真衣さんは「中央大学法学部」を卒業しています。
中央大学法学部は、東京都八王子市にキャンパスがあります。
小学校から高校まで、地元の学校に通っていました中村真衣さんにとっては、初の上京生活になったと思います。
中村真衣さんは、母子家庭で育ちました。
金銭的に大変になることがわかりつつも、中央大学への進学を母親は応援してくれたようです。
中央大学は出身の人には、俳優の阿部寛さんや巨人の監督、阿部慎之助さんなど多くの有名人が通っていた大学です。
中村真衣さんは、在学中にオリンピックに出場しています。詳しい話は、中村真衣さんの経歴を紹介するときにお伝えします。
中村真衣の経歴がすごい!
オリンピックメダリストとして中村真衣さんのことは知っている方は多いと思いますが、経歴については知っていますか?
ここでは、中村真衣さんの経歴を見ていきたいと思います。
競泳選手時代
4歳からJSS長岡スイミングスクールで水泳を開始した中村真衣さん。
小学校6年生で中高生の選手コースに編入したようで、ここから厳しい練習が始まったのではないでしょうか。
中学校3年生のときに初めて、日本選手権100m背泳ぎで優勝しました。
高校生以降の実績はこちらになります。
- 1996年 アトランタオリンピック:100m背泳ぎ 4位
- 1998年 世界水泳選手権 :100m背泳ぎ 銀メダル、200m背泳ぎ銅メダル
- 1999年 世界短水路選手権 :100m背泳ぎ 金メダル、200m背泳ぎ金メダル
- 2000年 シドニーオリンピック :100m背泳ぎ 銀メダル、4×100mメドレー銅メダル
中村真衣さんは、2007年メルボルン世界選手権出場後に引退しました。
水泳指導者として(現役引退後)
中村真衣さんは、現役引退後水泳指導や教育活動、また社会活動を行なっていました。
2007年の引退後は(株)JSSスイミングアドバイザーとして全国で水泳指導を行いました。
これは、中村真衣さんは現役引退後も水泳に関わっていたいという思いがあったからです。
引退後、いったんは地元の長岡に拠点を戻していたのですが、東京に拠点を移動し、水泳教室から始めようと日本全国で水泳指導をするため、環境を整えていったようです。
2013年には、JOCスポーツ指導者海外派遣員としてアメリカに1年間コーチ留学をしています。
また、過去のものもありますが、中村真衣さんは次のような要職についています。
- 公益財団法人日本水泳連盟「競泳委員」
- 新潟県水泳連盟「理事」
- 日本オリンピック委員会「強化戦略スタッフ」
- 特定非営利活動法人日本オリンピアンズ協会理事
- ブルーシー・アンド・グリーンランド財団「理事」
- 一般社団法人日本マスターズ水泳協会「理事」
- 長岡市スポーツ興進審議会「委員」
- 長岡税務署e-Tax推進大使
- 新潟県いじめ根絶「個人サポーター」 など
中村真衣の引退後の活動を見ると、水泳が好きなことや、社会貢献を行なっていきたいという考えがわかりますね。
政治の世界へ
中村真衣さんは2024年から政治の世界に活動の幅を広げています。
2024年7月に自民党新潟県連の参議委員選立候補者公募に応募し、9月自民党新潟県連が公認申請を決定しています。
そして、2024年11月に自民党本部が公認を正式決定し12月に出馬表明をしています。
そのとき中村真衣さんはこのようにコメントしています。
女性や子どもの声もしっかりと国に届けて形にしたい
引用:読売新聞
2025年参議院選挙新潟県選挙区から自民党公認で立候補しています。
また、自由民主党新潟県参議院選挙区第二支部長に就任しました。
中村真衣さんは、政治の世界でどのような活躍を見せてくれるのでしょうか楽しみですね。
中村真衣が水泳選手から政治家に転身した理由を徹底調査!
中村真衣さんはなぜ政治家に転身したのでしょうか。
それは、「地域の命や暮らしを守るには、政治の力が必要」と感じたからです。
中村真衣さんは2004年の新潟県中越地震と、2007年の新潟県中越沖地震で被災経験があります。
その後、2011年の東日本大震災時に被災地支援活動をしていましたが、このように感じたようです。
被災地の現実に直面し、「スポーツの力」だけでは限界があることを痛感しました。地域の命や暮らしを守るには、どうしても「政治の力」が必要
引用:自由民主党 中村真衣インタビュー
この体験が、政治家への道に進むきっかけになったようですね。
また、子供たちに水泳を教える中で、「多くの経験こそが自らを成長させる力になることを実感」したようです。
しかし、家庭お経済状況や地域の環境によって、こうした経験を得る機会に格差が生じている現実に直面したようです。
そこで、教育格差や経験格差、子育て環境の整備を政治的解決が必要だと認識しているようです。
中村真衣さんは、オリンピック出場は家族の支えがあったことを話しています。また、母子家庭で育った経済的格差についても、実感があるのかもしれません。
そのような、中村真衣さん本人が体験し必要と感じること、その課題に対して改善には政治の力が必要だと感じているのですね。
中村真衣さんは、なぜ自民党を選んだのでしょうか?
インタビューでこのように答えています。
今まさに変革を進めようとしている政党であり、私自身のこれまでの経験や視点が、新たな風を吹き込む力になるのではないか
引用:自由民主党 中村真衣インタビュー
中村真衣さんは、政治家として活躍する場所として自民党が最適ではないかと考えたようですね。
まとめ
この記事では、
- 中村真衣の学歴(採取学歴は中央大学法学部)
- 中村真衣の経歴(競泳選手から引退後について)
- 中村真衣は政治の力の必要性を感じ政治家になった
についてお伝いたしました。
競泳選手として、指導者として経験したことや、被災者として復興支援を行なっての経験があります。
中村真衣さんは、同じ体験や物事でも違う角度で状況を見る経験を持っていると感ました。
その経験を政治の世界で活かし、活躍していくこと期待したいですね。