筆談ホステスとして有名となり、その後政治家として活動している斉藤里恵さん。
異色の経歴を持つ、斉藤里恵さんの学歴や経歴が気になる方も、多いのではないでしょうか。
この記事では、
- 斉藤里恵のプロフィール
- 斉藤里恵の学歴
- 斉藤里恵の経歴
について覗いていきます。
斉藤里恵ってどんな人?プロフィールを紹介!
まず初めに、斉藤里恵さんのプロフィールを見てみたいと思います。
簡単にまとめてみました。こちらになります。
名前 | 斉藤 里恵(さいとう りえ) |
生年月日 | 1984年2月3日 |
血液型 | O型 |
出身地 | 青森県青森市油川 |
家族 | 一児の母(娘、シングルマザー) |
斉藤里恵さんは、聴覚障がいがあります。
1歳10ヶ月で髄膜炎の後遺症により聴力を完全に失ってしまいます。
幼い頃に聴力を失ってしまった斉藤里恵さん。その後、成長と共に学校生活や社会に出てからどのような道を歩んでいったのでしょうか?
次は、斉藤里恵さんの学歴を見てみたいと思います。
斉藤里恵の学歴!出身高校・大学はどこ?
斉藤里恵さんはどのような学歴を持ち、どのような学生時代だったのでしょうか?
斉藤里恵さんの学歴を追ってみたいと思います。
斉藤里恵の出身中学校
斉藤里恵さんは、青森市立油川中学校に通っていました。
斉藤里恵さんは、小・中学校ともに両親の考えで、特別支援学校には通っていませんでした。
中学校時代、両親が厳しかったため門限が18時と決められていたようです。
しかし、友達と仲良くなり、遊ぶ事が楽しくなり門限を過ぎてしまい、叱られていたみたいです。
門限を1分でも過ぎると叱られていた為、斉藤里恵さんは数分で叱られるのならば、何分遅くなっても同じと考え、夜遊びをするようになっていったようです。
夜遊びをするようになった斉藤里恵さんは、学校に目を付けられてしまい授業中にわからない事があって友達に聞いても、雑談と勘違いされ注意をされていました。
注意をされるのが嫌で、質問をしなくなり、授業についていけなくなる悪循環になってしまったようです。
また、斉藤里恵さんは自我の目覚めにより反抗期がきました。その時期に自由奔放に生活をしていたため、「青森一の不良娘」と呼ばれるようになったようです。
斉藤里恵の出身高校
斉藤里恵さんは、青森県青森市にある「東奥学園高等学校」に通っていました。
しかし、この高校を中退しています。
斉藤里恵さんは、高校に進学するつもりがなく、興味があった洋服やファッション勉強するため、服飾専門学校に通いたかったのです。
しかし、中学校時代に担任の先生に猛反対され結局、高校に進学する事になったようです。
しかし高校では、友達はできたようですが、どこかで行きたかった学校ではないと感じていたようで、学校も楽しく無く、あまり行かなくなってしまったのです。
斉藤里恵さんは、高校時代にある転機を迎えます。
学校に行かず遊びまわるようなった斉藤里恵さん。両親はお小遣いをくれなくなったようです。
好きな服が買えなくなってしまい、よく買いに行くアパレルショップで万引きをしてしまった事があるようです。その時、すぐ店員に捕まりました。
そのようなときに、意外にも店のオーナーからアルバイトの提案をされ、働き始めたのです。
アルバイトを始めた当初は、勤務態度が悪く、遅刻も多くオーナーとしょっちゅう喧嘩をしていたようです。
しかし、アパレルショップでのアルバイトで接客の楽しさを知り、高校を中退し就職先を探し始めたようです。
斉藤里恵の出身大学
斉藤里恵さんは、大学に進学していません。
高校を中退して就職先を探していたため、大学進学について興味があった情報などは見つかりませんでした。
斉藤里恵さんの学歴を覗いてきました。
次は、経歴を覗いてみたいと思います。
斉藤里恵の経歴!筆談ホステスから政治家へ!
本日、参議院自民党の皆様にご挨拶に伺いました。
— 斉藤りえ 東京都議会議員 東京都大田区 (@riesaito2019) June 10, 2025
日頃より国政の第一線でご尽力されている先生方から、温かく力強いご激励のお言葉をいただき、大変心強く感じました。
皆様のお言葉を胸に、一歩一歩、地に足をつけて歩んでまいります。#感謝 #ご挨拶 #参議院 #自民党 #挑戦 pic.twitter.com/NiNnGAiS0D
変わったきっかけから、アパレルショップでのアルバイト経験で、接客の楽しさを知った斉藤里恵さん。
その後、どのような経歴があるのでしょうか。
斉藤里恵さんの経歴を覗いてみたいと思います。
筆談ホステス時代(2003年〜2015年)
高校中退後に、斉藤里恵さんの知名度が上がるきっかけとなった仕事、ホステスになります。
斉藤里恵さんは、どのようなきっかけで水商売の世界に入ったのでしょうか?
高校中退後、就職先を探していた斉藤里恵さんは、友人に電話をかけてもらい就職活動をしていたのですが、聴覚障がいがある事を伝えると会ってもらうことすら出来なかったようです。
そのような時に、知り合いからクラブのママを紹介されたのがきっかけで、ホステスになりました。
斉藤里恵さんが、ホステスになったのは19歳のときです。
その後、斉藤里恵さんが23歳のときに、単身上京し、銀座にある高級クラブで働き始めます。銀座で最初に働いた店は八丁目にある「Le Jardin」です。
聴覚障がいを逆手に取り、筆談を駆使した独自の接客スタイルを確立し、銀座でナンバーワンホステスの地位に上り詰めます。
これは、斉藤里恵さんの努力と人を思う気持ちから成し遂げられたことではないでしょうか。
聴覚障害がある人ない人関係なく、銀座でナンバーワンホステスになるのは並大抵の努力では成れないと思います。
作家デビュー(2009年〜2015年)
斉藤里恵さんは、2009年5月に自伝「筆談ホステス」を出版し作家デビューをしています。
この作品が、ベストセラーとなり2010年1月に北川景子さん主演でドラマ化され、さらに斉藤里恵さんの知名度を上げるきっかけとなります。
また、作家デビュー後の2009年11月に青森市観光大使に就任しています。
2010年6月には、ハワイで第一子となる栄万(えま)ちゃんを出産し、シングルマザーとなりました。
斉藤里恵さんは、自伝「筆談ホステス」以外にも「筆談ホステス 67の愛言葉」や出産後に「筆談ホステス 母になる」を執筆しています。
斉藤里恵さんは、発する言葉ではなく、目に見える言葉で銀座のナンバーワンホステスに上り詰めた方です。書籍という形でも、斉藤さんの言葉で色々な人を惹きつけることが出来たのですね。
斉藤里恵さんの娘とのエピソードはこちら↓↓

政治家へ(2015年〜)
斉藤里恵さんは、2015年4月に東京都北区議会議員選挙に日本を元気にするかい公認で立候補、みごと過去最多の6,630票を獲得、トップ当選を果たし区議会議員に就任します。
2019年の北区議会議員選挙の立候補を見送り、任期満了で退任します。
そして、国政に挑戦するため2019年5月に、第25回参議院議員通常選挙に旧立憲民主党公認で比例区で出馬しますが、落選してしまいます。
2020年7月には、東京都議会議員補欠選挙(北区)に立憲民主党公認で出馬します。しかし落選という結果になってしまいました。
続いて、2021年7月に東京都議会議員選挙(大田区)で立憲民主党公認として当選を果たします。
2025年2月に立憲民主党会派を離脱し、無所属「東京を元気にする会」を結成します。
斉藤里恵さんの国政への挑戦は続きます。
2025年6月には、自由民主党に加入し、第27回参議院議員通常選挙比例代表での御立が発表されています。
まとめ
この記事では、
- 斉藤里恵のプロフィール
- 斉藤里恵は高校を中退したこと
- 斉藤里恵の経歴(ホステスと政治家の歩み)
についてお伝えいたしました。
斉藤里恵さんは、幼い頃に聴覚障がいをわずらい学生生活、ホステスと経験をしてきました。
その経験の中で、感じたことや変えて行きたいと思うことがあり、政治家に転身したのだと思います。
今後、斉藤里恵さんだから出来ること、変えれることがあると思いますので、活躍を期待したいですね。