富山県初の女性国会議員として、今後の活躍が期待される庭田幸恵さん。
庭田幸恵さんには、CAやアナウンサーといった華麗なる経歴が今注目されているんです。
今回は、庭田幸恵さんのアナウンサー時代や異色の経歴と政治家に転身した理由について、調査してみました。
【画像】庭田幸恵は元アナウンサー!どの局でどんな活動をしていた?
庭田幸恵さんは、地元富山の富山テレビ(BBT)でアナウンサーとして活躍されていました。
アナウンサー時代は旧姓の森を使用し、森幸恵さんと名乗っていました。
庭田幸恵さんがアナウンサーを目指したのは、なんとママになってから。
子供さんが3歳の時に、やっぱり外で働きたいと一念発起し、受けたのが、地元富山県の富山テレビ(BBT)の契約アナウンサー。
見事合格し、1996年から8年間アナウンサーを務めました。
庭田幸恵さんは地元で愛される情報番組『YOUドキッ!たいむ』で長年司会を務められ、富山では夕方の顔とも言える存在となりました。
今でも富山ではその時の名残で声をかけられる事があるそうです。
きっと親しみのあるアナウンサーだったんですね。
庭田幸恵の異色の経歴を時系列で整理!
庭田幸恵さんの異色の経歴をまとめて見ました。
庭田幸恵さんの経歴一覧
年代・年 | 経歴・職歴 | 詳細内容・備考 |
1990年 | 日本航空(JAL)国際線客室乗務員 | モスクワなど35都市を担当 |
1993年から1996年 | 結婚・出産・富山に帰郷 | 専業主婦 |
1996年~2004年 | 富山テレビ(BBT)契約アナウンサー | 「森幸恵」として活動、『Youドキッ!たいむ』など多数担当 |
2004年から2006年 | JALウェイズに契約制CAとして再就職 | 国際線CA 復帰 |
2006年 | 株式会社プラチナコンシェルジュ設立 | 人材育成・観光・教育分野を手がける |
2023年 | 国民民主党・富山県連から参院選候補に選出 | 富山県選挙区の公認候補者に |
2025年 | 国民民主党参議院 | 富山初の女性国会議員に就任 |
素晴らしい経歴の持ち主ですね。
それでは詳しく見ていきましょう。
①日本航空(JAL)国際線客室乗務員
大学を卒業後、庭田幸恵さんはJALの国際線CAに就職します。
JALのCAといえば、女性の憧れの職業で倍率も高かったことから、CAになった庭田幸恵さんはかなり優秀と言えるでしょう。
国際線のCAとして、ロンドン、パリ、モスクワなど世界35都市を担当。
文字通り、世界を駆け巡っていました。
その時の様子を庭田幸恵さんはこのように語っていました。
「ロンドン、パリ、ニューヨークなど、35都市をフライトして、とにかく世界中を飛び回っていましたね。 1990年代に入り、バブル崩壊がはじまっていましたけど、独身でしたし、今思えばやりたいことはやって欲しいものは何でも買える。そんな時代でした」
引用:Funds-I
とても充実したCAライフを満喫していたようですね。
②専業主婦からアナウンサーへ
CA退職後、庭田幸恵さんは地元富山で専業主婦になります。
一人娘にも恵まれました。
お嬢様が3歳になった頃、また外で働きたいと思い富山テレビのアナウンサーに転身。
ママアナウンサーとして活躍しました。
けれど、そんな庭田幸恵さんでも子育てと仕事の両立はかなり大変だった様子。
必死に駆け抜けたとおっしゃっていました。
この時の経験が庭田幸恵さんの子育て支援につながっているんですね。
それでも、庭田幸恵さんはこのように語っていました。
出会いを大切にしていて、色々な方との人脈づくりが、結果的には、今の仕事につながる財産になりました
引用:Funds-I
③アナウンサーから起業家へ
アラフォーになって、アナウンサーを続けることに迷いが出てきた、庭田幸恵さん。
アナウンサー退職後は一旦国際線CAに復帰。
ハワイやアジア方面を主に担当していました。
そんな中、CA、アナウンサーとしてのおもてなしの心を地元のために役立てたいと、38歳で株式会社プラチナコンシェルジュ設立。
起業家として、資金調達から人材育成まで携わっていきます。
また、母として仕事と子育てを両立していた庭田幸恵さん。
ご自身の設立された会社の挨拶文にはこう示されていました。
人材派遣会社ではなく、案内業務自体を受託している企業であるため、
スタッフの休暇や病欠などによる対応は、業務を完全に理解したスタッフによるバックアップ、
サポート体制が整っていることから、緊急的な人の手当の心配は、一切必要ありません。
きっとこれは、庭田幸恵さんの仕事と子育ての両立した結果、女性でもママでも働きやすい環境作りの一環かもしれませんね。
庭田幸恵さんはこの起業家としての経験が政治家としても活かせると確信していました。
ゼロから会社を立ち上げましたが、一人、二人とスタッフが増えていく中で経営者として、採用や人材育成、社員の働きやすい環境づくり、資金繰りなど、実社会のリアルな課題と日々向き合っています。
こうした経験は、私が政治に取り組む上で大いに活かせると確信しています。
庭田幸恵が政治家に転身した理由を調査!

庭田幸恵さんが政治家を目指した理由は、
- 生活者の声を政治に届けたい
- 税の負担と生活の現実を変えたい
という思いがあったからです。
①生活者の声を政治に届けたい
庭田幸恵さんが政治家を目指した原点にもなっているのが、生活者の声を届けたいという思いです。
私が政治の道を志す理由。
それは、日本の政治が「生活者の声」を十分に拾えていないと痛感したからです。真面目に納税していても、生活は楽にならず報われない社会になってしまっています。
引用:庭田幸恵オフィシャルサイト
庭田幸恵さんは、今の日本では普通に生きることが難しくなっていると問題提起。
「普通に働き、普通に生活し、安心して老後を迎えられる日本。」、庭田幸恵さんのこの言葉は、まさに生活者の声ではないでしょうか?
②税の負担と生活を変えたい
庭田幸恵さんは、税負担が生活を圧迫している、その現状を打破しないと未来はないと感じ、政治家になることを決意。
「なぜ政治の道に進むと決断したのか。税負担が生活にのしかかっている。この現状を何とか変えないと日本の未来はないと思ったから」
引用:チューリップテレビ
庭田幸恵さんは「こんなに税金払っているのに、なんで私達の暮らしは楽にならないんだろう?」って感じたそうです。
頑張って働いたら報われる社会の実現を目指すために、税の負担を軽減し、生活の安定を図れる政策を実現に努めなくてはという使命感からなんですね。
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まとめ
今回は、庭田幸恵さんのアナウンサー時代や異色の経歴、政治家への転身理由についてご紹介しました。
結果、以下のようなことが分かりました。
- 庭田幸恵は森幸恵として富山テレビ(BBT)でアナウンサーとして活躍
- 庭田幸恵は国際線CA、アナウンサー、起業家、そして政治家と異色の経歴の持ち主
- 庭田幸恵は生活者の声を届け、税の負担を軽減しなければという使命感から政治家を目指した
庭田幸恵さんは常にご自身の経験を元に、結果を出してきた方です。
今後、庭田幸恵さんの政治家としての手腕にも期待しましょう。