第100代・101代内閣総理大臣を務める岸田文雄首相の家柄は、実は有名な政治家一族なんです。
そんな岸田文雄首相の奥さんである裕子夫人は一体どういった経歴の方なのか、気になりますよね。
- 岸田裕子夫人の就職先は大企業で、役員秘書として働いていたって本当?
- 岸田裕子夫人は社長の父親を持つ、生粋のお嬢様らしい!
今回は、岸田文雄首相を支える妻・岸田裕子夫人にスポットライトを当てて、輝かしい生い立ちや経歴について紹介します!
岸田文雄の妻(裕子夫人)の経歴は美人秘書?!
岸田裕子夫人は東京女子大学を卒業後、1986年に大手自動車メーカーで有名なマツダに入社しました。
裕子夫人は広島県三次市(みよしし)の出身で、マツダは広島県安芸郡府中町に本社を構えています。
おそらくですが、地元の大企業ということで就職したと推測できますね。
驚くべきことに、マツダに就職してすぐに当時副社長だった和田淑弘さんらの役員秘書として働いていたんだそうです!
有名企業ですぐに役員秘書という重要な役職に抜擢されるなんて、裕子夫人は本当に優秀な人材だったんでしょうね。
- 役員のスケジュール管理や調整
- 来客や電話、メール、ファックスの対応や各所への連絡、報告
- 役員の業務のサポート、各種手配
- 業務上必要な資料の作成や管理
岸田文雄総理の妻として、サポート役に徹する姿が印象的な裕子夫人。
そのベースは、マツダに勤務していた時代の役員秘書の経験が活きているのかもしれませんね。
そして裕子夫人は、マツダに就職してから2年後の1988年、岸田文雄総理とお見合いをされました。
その後24歳で岸田文雄首相と結婚したことを機に、マツダを退職したんだそうです。
優秀な人材だった裕子夫人だけど、マツダに勤務していた期間は2年と短いんですね!寿退社なんて、羨ましいですね。
岸田文雄の妻(裕子夫人)の生い立ちは社長令嬢でエリートだった!
裕子夫人の父親は、三次開発興行株式会社の社長である和田邦次郎氏です。
・1969年4月に創業した有力企業。
・広島県三次市(みよしし)に本社を構えている。
・売上:〜1億円未満
・資本金:1200万円
・不動産賃貸業(ビルや事務所、マンション、住宅などのレンタル・リース・賃貸・管理業)を手掛けている。
和田邦次郎社長は地元の三次高校の同窓会長も務めていたとのことで、とても影響力の強い人物と言えますよね。
三次開発興行株式会社は創立から50年以上経っている老舗で、長女の裕子夫人が5歳の時に設立されたようですね!
岸田文雄首相の家柄も広島県では有名な政治家一家なので、お見合いの話に発展するのも理解できますよね。
裕子夫人は社長令嬢だったんですね!
確かにどの写真を見ても気品のある佇まいですし、まさに生粋のお嬢様ですね。
ちなみに裕子夫人の出身校は、広島女子学院中学高校というエリート校です。
・中高一貫の私立校で、広島県では有名なお嬢様校。
・キリスト教育主義で英語教育に注力し、グローバルな人材育成に力を入れている。
・地元では難関校として名を馳せている。
広島女子学院では、高校3年生の時には生徒の8割以上が英検2級以上に合格しているそうですよ!
岸田文雄の妻(裕子夫人)のプロフィール
名前:岸田 裕子(旧姓:和田)
生年月日:1964年(昭和39年)8月15日
年齢:58歳(2023年2月現在)※岸田文雄総理の7歳年下です!
出身地:広島県三次市(みよしし)
学歴:広島女学院中学高等学校→東京女子大学日本文学部(現在の現代教養学部)
家族構成:岸田文雄総理・長男(翔太郎)・次男(晃史郎)・三男(名前不明)の5人家族
まとめ
陰ながら岸田文雄首相を支えるファーストレディ、裕子夫人。
裕子夫人から溢れる気品は、社長令嬢としての礼節や、華やかな学歴・経歴からきているのかもしれませんね。
外見が美しく聡明なだけでなく、英語も堪能ということで、驚いた方も多いのではないでしょうか。
日本の歴代総理夫人の中でも、群を抜いて才色兼備といえますよね。
マツダでの秘書業務の経験や持ち前の英語力を活かして、今後も岸田文雄首相を献身的にサポートしていってほしいですね。