馬場伸幸の学歴は高卒で経歴はロイホのコックだった?!政治家になった理由を調査!

こんにちは、このブログでは政治や社会に関する話題を取り上げています。

今回は、日本維新の会の新代表に選ばれた馬場伸幸氏について、その学歴や経歴、政治家になった理由などを紹介したいと思います。

目次

馬場伸幸のプロフィール

馬場伸幸

まずは、馬場伸幸氏の基本的なプロフィールを見ていきましょう。

馬場伸幸氏のプロフィール

  • 名前:馬場 伸幸(ばば のぶゆき)
  • 生年月日:1965年1月27日
  • 出身地:大阪府 堺市
  • 所属政党:日本維新の会
  • 衆議院議員:大阪17区(4期)
  • 日本維新の会代表:第3代(2022年8月27日 – )

馬場伸幸氏は、1965年1月27日生まれで2023年11月現在58歳です。

大阪府堺市出身で、料理人の父と、のちに料亭を営む母とのあいだに3人姉弟の末っ子として生まれました。

馬場伸幸の学歴は高卒?

馬場伸幸

日本維新の会の馬場伸幸代表の最終学歴は、高卒です。

出身高校は、大阪府立鳳高等学校です。

鳳高校は、偏差値が65と非常に高く、馬場伸幸氏が中学時代から学力が高かったことが推測されます。

高校時代は、ラグビー部に所属しており、勉強よりもラグビーを優先する生活を送っていたという馬場伸幸氏。

しかし、進学校にいながら、なぜ進学をしなかったのでしょうか?

その理由は、以下のように馬場伸幸氏が公式サイトで言及していました。

ラグビーに打ち込みすぎて、勉強をあまりしておらず。

残念ながら大学進学は叶わずに、父と同じ料理人の道へ。

馬場伸幸氏はラグビーに熱中するあまり、勉強をしていなかったようです。

進学校出身であればある程度の学力も備わっており、浪人して進学をするなどの選択肢があったにも関わらず、就職を決めたのは、少なからず父親の「料理人」という職業に憧れがあったのかもしれませんね!

馬場伸幸の経歴はロイホのコックだった?!

馬場伸幸

日本維新の会の馬場伸幸代表の経歴は、ロイホのコックなんだとか!

馬場伸幸氏は、高校を卒業するとロイヤルホストを運営していた「オージー・ロイヤル」に就職しました。

ロイヤルホストでは、皿洗いや掃除に明け暮れる中、2年目には調理師免許を取得した馬場伸幸氏。

馬場伸幸氏は、高校卒業後に何か事業を興したいと考えおり、飲食店の経営者を志していたこともあって、社会勉強のためにロイヤルホストに就職したようです。

ロイヤルホストではコックとして3年弱勤務し、仕事の厳しさやサービスの大切さなどを学んだとのこと。

ロイヤルホスト在籍中に、青年実業家を目指そうと考えていた馬場伸幸氏は両親へ相談し、親の勧めで議員秘書を務めることに。

なんでも、実家に会食に来ていた政治関係者に両親が馬場伸幸氏のことを相談し、紹介を受けたのをきっかけに中山太郎・元外務大臣の秘書になったんだとか!

中山元外務大臣の運転手から始めて事務所番、地元陳情対応、東京事務所責任者として約8年間、政治家について実経験を積んだ馬場伸幸氏。

その後、中山元外務大臣から、「堺市議の補欠選挙に出なさい」と言われたことをきっかけに、選挙へ出馬します。

見事選挙に当選した馬場伸幸氏は、そこから6期19年もの間、堺市議として活動しました。

2010年の堺市議在職中に自民党を離党し、日本維新の会の結成に参加しました。

2012年に堺市議を辞任し、第46回衆議院議員総選挙に旧日本維新の会公認で大阪17区から出馬し、見事初当選を果たしました。

2015年8月には、維新の党の分裂に際し、橋下の新党への参加を表明し、9月8日に国会対策委員長を解任され、10月14日付で、維新の党を除籍処分となりました。

しかし、馬場伸幸氏ら除籍された162人と、既に離党した橋下らは、松野頼久執行部の任期は9月で切れているため処分は無効と主張し、10月24日に独自に臨時党大会を開き、馬場伸幸氏が代表に選出されました。

そして、12月13日におおさか維新の会の幹事長に内定し、同25日に正式に入党したことにより馬場伸幸氏はおおさか維新の会の幹事長就任しました。

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で3選し、2021年10月の第49回衆議院議員総選挙でも4選を果たしています。

2017年11月30日に、日本維新の会共同代表および国会議員団代表に就任しました。

2022年7月に、日本維新の会代表の松井一郎氏が辞任を表明したことにより、党代表選への出馬を表明し、次期衆院選での野党第一党獲得等の目標を掲げ、投開票の結果、代表に就任しました。

今後の馬場伸幸氏の活躍にも期待したいですね!

馬場伸幸が政治家になった理由を調査!

当初、飲食店の経営者を目指していた日本維新の会の馬場伸幸代表は、なぜ政治家を志すようになったのでしょうか?

馬場伸幸氏が政治家になった理由についても調査してみました!

しかし、馬場伸幸氏が政治家になった理由については、公には明かされていませんでした。

そこで、馬場伸幸氏が政治家になった理由を3つ考察してみました!

1.父親の影響

馬場伸幸氏は、父親が料理人だったことから、自分も料理人になりたいと思っていました。

しかし、料理人として働いているうちに、何か事業を興したいという気持ちが芽生えた馬場伸幸氏。

そのため、父親に相談したところ、偶然にも政治関係者との縁があり、中山太郎元外務大臣の秘書になることができました。

このことから、父親の影響が馬場伸幸氏の政治家への道を開いたと言えるでしょう。

2.中山太郎元外務大臣の指導

馬場伸幸氏は、中山元外務大臣の秘書として約8年間働きました。

その間に、政治家とは何か?を学んだといいます。

中山元外務大臣は、馬場伸幸氏に「堺市議の補欠選挙に出なさい!」と言って、選挙への出馬を促しました。

馬場伸幸氏は、この言葉に従って選挙に立候補し、見事当選を果たします。

このことから、中山元外務大臣の指導が馬場伸幸氏の政治家としての成長を助けたと言えるでしょう。

3.維新の会の理念に共感

馬場伸幸氏は、堺市議在職中に自民党を離党しました。

その理由は、自民党が「既得権益や利権を守る政党」であると感じたからだそうです。

馬場伸幸氏は、「日本を変える」という維新の会の理念に共感し、維新の会として衆議院選挙に立候補しました。

馬場伸幸氏は、「日本を変えるためには、まず大阪から変えなければならない」という考えを持っているようです。

このことから、維新の会の理念に共感したことが馬場伸幸氏の政治家としての動機付けになったと言えるでしょう。

以上が馬場伸幸氏が政治家になった理由です。

これからも日本維新の会代表として活躍されることを期待しています!

まとめ

今回は、日本維新の会の馬場伸幸氏代表について、その学歴や経歴、政治家になった理由などを紹介しました。

馬場伸幸氏は高卒で異業種から政治家へ転身されていることがわかりました。

維引き続き馬場伸幸氏の活躍に注目していきたいと思います!

最後までご覧下さりありがとうございます。

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