麻生太郎はオリンピック選手だった⁈クレー射撃の腕前が凄すぎ!

麻生太郎さんといえば、元首相で2023年現在は副総理兼財務大臣の政治家として有名ですが、実はクレー射撃の元オリンピック選手でもあることをご存知でしょうか?

今回は麻生太郎さんのクレー射撃に関する経歴やエピソードを紹介します!

さっそく詳しくみていきましょう。

目次

麻生太郎はオリンピック選手だった⁈

実は、麻生太郎さんはオリンピック選手だったといいます!

麻生太郎さんは1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃(スキート)の日本代表として出場しました。

クレー射撃とは?

クレー射撃とは、空中に飛ばされた円盤状の標的(クレー)を散弾銃で撃ち落とす競技です。

オリンピックでは、トラップ(標的が一定方向に飛ぶ)、スキート(標的が左右から交互に飛ぶ)、ダブルトラップ(標的が二枚同時に飛ぶ)の3種目が行われます。

麻生太郎さんが出たオリンピックは、1976年のモントリオールオリンピックです。

このオリンピックは、カナダのケベック州のモントリオールで開催された、カナダ史上初のオリンピックでした。

日本選手団は、金メダル9個、銀メダル6個、銅メダル10個の合計25個のメダルを獲得し、国別順位では5位という成績を納めています。

特に女子バレーボールチームは、日本が金メダルを獲得した競技の中で唯一の団体競技でした。

麻生太郎さんは、クレー射撃(スキート)の日本代表として出場しましたが、思うような結果が出せず41位という成績でした。

麻生太郎のクレー射撃の腕前が凄すぎ!

麻生太郎さんのクレー射撃の腕前が凄すぎなんだとか!

日本の代表としてオリンピックに選ばれるほどなので、麻生太郎さんのクレー射撃の腕前は確かでしょう。

麻生太郎さんは学習院大学時代からクレー射撃を始めており、22歳(1962年)の時に開催された「全日本選手権」において日本新記録(当時)で優勝するなど才能を見せ付けました!

1974年には「メキシコ国際射撃大会」でも優勝しています。

1976年のモントリオールオリンピックではクレー射撃(スキート競技)の日本代表に選ばれました。

麻生太郎さんはオリンピックに出場するために、大学を休学し、自宅近くの射撃場で練習に励んだそうです。

クレー射撃を引退後の1998年には「日本クレー射撃協会」の第11代会長に就任して競技の発展に貢献していました。

しかし、麻生太郎さんご自身の総理大臣就任に伴い2009年に「日本クレー射撃協会」の第11代会長を退いています。

2012年に復職をしていますが、安倍政権へ入閣したことで再び「日本クレー射撃協会」の会長を退任しました。

その後は名誉総裁になりましたが、2023年現在も同職に在任しているかは明らかになっていません。

麻生太郎がクレー射撃をはじめたきっかけは?

麻生太郎さんがクレー射撃を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

残念ながら、麻生太郎さんがクレー射撃を始めたきっかけは公には明かされていません。

しかし、麻生太郎さんは漫画好きで知られており、ゴルゴ13を愛読されているんだとか!

そのため、クレー射撃を始めたきっかけはゴルゴ12に影響しているのかもしれませんね。

麻生太郎さんは1976年のモントリオールオリンピックに日本代表で選出されましたが、思うような結果が出せず41位に終わりました。

それ以来クレー射撃は封印し、以後一度も引き金を引いていないといいます。

まとめ

麻生太郎さんはクレー射撃の元オリンピック選手であり、その腕前は凄すぎるものでした。

政治家としてもクレー射撃としても、その才能と情熱には敬服するばかりです。

最後までご覧くださりありがとうございます!

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