今回は、衆議院議長に就任した自民党の細田博之氏について、その家系図や家族情報を調べてみました。
細田氏は、世襲議員であり、父親や祖父も政治家だったことがわかります。
では、詳しく見ていきましょう!
細田博之のプロフィール
まずは、細田博之氏の基本的なプロフィールから紹介します。
- 名前:細田 博之(ほそだ ひろゆき)
- 生年月日:1944年4月5日
- 年齢:79歳(2023年10月現在)
- 出身地:島根県松江市
- 出身校:東京大学法学部
- 職歴:通商産業省(現経済産業省)入省、衆議院議員(11期)、防衛庁長官、科学技術政策担当大臣、内閣官房長官、自民党幹事長、清和政策研究会会長、自民党総務会長、自民党憲法改正推進本部長、衆議院憲法審査会会長、衆議院議長
細田氏は、1967年に通商産業省に入省し、1983年に石油公団ワシントン事務所長に就任しました。
1990年に衆議院議員に初当選し、以来11回連続で当選しています。
自民党内では清和会(福田派)に所属し、防衛庁長官や内閣官房長官などの要職を歴任しました。
2021年11月には衆議院議長に就任しましたが、体調不良を理由に、2023年9月に辞任する意向を発表しています。
細田博之の家系図
次に、細田博之氏の家系図を見てみましょう。
細田氏は世襲議員であり、父親や祖父も政治家だったことがわかります。
父親:細田吉蔵
細田博之氏の父親は細田吉蔵氏です。
細田吉蔵氏は1912年に島根県に生まれ、1936年に東京帝国大学法学部を卒業しました。
その後、鉄道省(後の運輸省)に入省しますが、1960年に退官し、衆議院議員に初当選しています。
その後も、毎回苦戦しなが10回連続で当選を果たしています。
その後は福田派の幹部として、行政管理庁長官、防衛庁長官、自由民主党総務会長、運輸大臣など要職を歴任しましたた。
1990年には、長男の細田博之氏に地盤を譲り、政界から引退しました。
2007年2月11日に急性心筋梗塞のため死去しました。
享年94歳でした。
祖父:升田憲元(ますだ のりもと)
細田博之氏の母方の祖父は升田憲元(ますだ のりもと)さんという方です。
実は、升田憲元氏も日本の政治家で、細田博之氏は3世代だったことがわかります。
升田憲元氏は官僚、弁護士、陸軍軍人であり、衆議院議員を務めた人物です。
1875年に島根県飯石郡赤名村(現・飯石郡飯南町)に生まれ、陸軍士官学校を卒業し、日露戦争に従軍した後、陸軍大尉に累進しました。
また、京都帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格しました。
1936年には第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たしています。
細田博之の家族構成も徹底調査!
細田博之氏の家族構成もいついても調査してみました!
細田博之氏は、妻と子ども2人の4人家族です。
さっそく、詳しくご紹介してまいります。
妻:細田洋(ほそだひろ)
細田博之氏の妻は、細田洋(ほそだひろ)さんです。
残念ながら顔画像は公開されていませんでした。
細田博之衆院議長の妻である細田洋さんは、2022年2月1日に誤嚥性肺炎のために亡くなられました。
洋さんは神戸製鋼所の常務取締役の娘であり、細田博之衆院議長との間に息子と娘がいらっしゃいます。
洋さんは享年76歳でした。
子ども
細田博之衆氏には、2人の子供がいます。
息子が1人と、娘が1人いることがわかっていますが、一般人ということもあり、詳しい情報は明かされていませんでした。
もしかすると、息子か娘が細田博之氏の後継者になるかもしれませんね。
まとめ
今回は細田博之氏についてまとめてみました。
細田氏は世襲議員であり、父親や祖父も政治家だったことがわかりました。
また、妻や息子たちもそれぞれに活躍していることがわかります。
細田氏の今後の動向に注目していきたいです!
最後までご覧下さりありがとうございます。